ヤマメとサクラマス

何かを選ばないといけないような、

何か一つに決めないといけないような、

ある種の強迫観念が年々強くなっているような、

どうもそんな気がする。

普段はかなりヘラヘラフラフラしているがそれは仮の姿であるというか、同じ布の表と裏のどちらを見ているか、ということに過ぎないような気がする。ヘラヘラフラフラしなくて済む人は、ヘラヘラフラフラする必要がない。羨ましい。

覚悟がないとか、責任感がないとか、そういう話ともちょっと違う。自分で言うのもなんだけれど、むしろ、それは多分人よりも強いような気がしている。

 

 

 

 

 

 

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2023年8月某日

 

 

青春18きっぷを使って、実家から在来線を乗り継いで東京に戻ってきた。午前中に出て寄り道をしつつ、東京に着いた時にはすでに夜だった。

 

 

途中、祖母宅の最寄り駅のあたりに差し掛かったあたりで、中学生の男子が3人、押しボタンを押して電車のドアを開け、車内に乗り込んできた。発車後、それぞれが夏休みの出来事を話し始めた。

「まず、新幹線で東京に行って、ディズニーに行ってさ」

「ディズニーのホテルに泊まってさ」

「次の日は原宿に行って、Supremeの古着Tを3万円で買ってさ」

「全部でXX万円、一人で使ったんだよね」

 

 

明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられました。米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として活かすため、明日の人づくりのための学校設立資金に使いました。その結果、設立された国漢学校は、後に多くの人材を育て上げることとなったのです。今の痛みに耐えて明日を良くしようという「米百俵の精神」こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。

(2001年5月10日 第151回国会における小泉純一郎首相(当時)所信表明演説より)

 

 

でも、寄り道までして食べに行ったラーメンは確かに美味しかったし。人のことを言うのは簡単だけど。難しい。

 

 

あと、話は変わるけれど、実家を離れて東京に戻ることを、「東京に帰る」とは言いたくないな、とも思う。

 

 

 

 

 

 

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2023年8月某日

 

 

青春18きっぷの残りを消化しようと思い、弾丸で山陰をまわった。寝台列車を唐突に予約して島根に行き、3泊したのち18きっぷで萩へ向かった。長旅が予想されたこともあり、出費を抑える意味合いからも基本的にゲストハウスやカプセルホテルを転々としており、萩でもゲストハウスに泊まった。

 

 

最近のゲストハウスはカフェ併設型だったりすることもあり、内装や設備、家具にこだわっているところも多い。萩でのゲストハウスもその例に漏れず、切れ味の良い包丁や綺麗なお皿を自由に使えるキッチンを備えていた。近くのスーパーで良さそうなカンパチとイカを入手し、刺身にしていったん冷蔵庫へ。

 

 

シャワーを終えて、冷やしておいた刺身とビールを取り出してひとりで飲んでいると、スタッフの女の子がやってきて、食べ終えたと思しき夕飯の容器を洗い始めた。(いちいち覚えていて、無駄に記憶力が良くてキモい。)(以降、適宜ぼかしたり変えたりしながら書いています。知らん人にこんなところに丸々書かれるのもなんかキモいだろうし申し訳ないので。)

 

 

 

 

その後、どういうわけか一緒に刺身を食べ始めた。一緒にお酒を飲まなかったのは彼女がまだ大学2年生、19歳だったから。知らない街で知らない19歳と刺身を食べるの、ちょっと犯罪だなと思いつつ、まあ一瞬のきらめきだしな、みたいなよくわからないことをビールを飲みながら考えた。

 

 

彼女はいわゆるヘルパーというかたちで、このゲストハウスを探し出してわざわざやってきたのだと言う。ヘルパー、2週間とか1ヶ月とか人によってまちまちだけど、ホテル運営をヘルプする人。お給料は出ないし食費は自腹だけれど、掃除や洗濯を手伝う代わりにその期間のあいだはタダで泊まっていいよ、というシステムらしい。そんなのあるんだ。学生時代にやってみたかった。

 

 

「でもお店の人や地域の人が差し入れをくれたりするし、食材も割と安いからそこそこの貯金でもやれるんです。何より、出費がマイナスだとしても得られる人生経験が段違いに良いので。」

ーーーそれはそうですね。むしろそれは実りある時間とお金の使い方ですよね。

「今年の3月に初めてヘルパーをやったんです。京都のゲストハウスで。そこではシフトがきっちり決まっていて、そこそこ忙しくて。」

「でも、ここは、いい意味でいてもいなくても良いというか。好きにしてていいよ、って言ってくれるんです。そう言われると、なんか戸惑ってしまって。」

「萩が歴史のある街だということはなんとなく知っているけれど、そこまで歴史に詳しいわけではなくて、とりあえず街を散歩しながらのんびり過ごしています。」

ーーー良いですね〜。

 

 

「行き先を決めることなく、行った先でたまたま見つけた面白いものや綺麗なものを見つけて楽しむのが良いですよね。」

「見てくださいよこれ、萩の学生服屋さんの看板、イラストが高橋留美子っぽくないですか。あとこれ、幕末の白塗りの壁が綺麗だし、大正レトロ的な漢字フォントの看板も。」

ーーーうわー旅の醍醐味ですね。その感性、どうか無くさずにいてください。ぜひ大事になすってください(なんでも鑑定団風)。

 

 

「大学の友達、旅行と言っても定番の温泉地・観光地に行くとか、ジャニーズの遠征に行くとか、そういうのが多くて。あんまり馴染めなくて。それで、ゲストハウスに行ったら何か新しい仲間みたいな人やものに出会えないかなって思って。実際、京都のゲストアウスでのヘルパーも楽しくて。それで今回、このゲストハウスを見つけて飛び込んでみたんです。」

「ここ、萩は結構XX(東北の某県)に似ていて、なんか落ち着くんです。飛び込みで来たに等しくて、縁もゆかりもない土地なのに、バスセンターで高速バスを降りた途端、あれっ地元かな、って思えたくらい、なんか懐かしくて。」

ーーーXXなんだ、自分もYYの出身です。萩もそうだけど、日本海側って謎の同じ雰囲気がありますよね。日本海側なら大体どこに行ってもほっとします。それで言ったら松江も良かったです、ぜひ帰りに寄ってみてほしいです。

 

 

「私、魚介類の中でイカが一番好きなんです。萩に行くよって周りに言ったら、イカが美味しいよって教えてくれて嬉しかったし、うわーラッキーじゃん!って。でも捌き方わからなくて、まだ食べてなくて。だから今日こうやって、なんかイカをご馳走になれて、とても嬉しいです。まさかこんな形で食べられるとは思ってなくて。しかもちゃんと美味しいですね、ありがとうございます。」

ーーーそれは良かったです。YouTubeで捌き方載ってるからぜひやってみてくださいませ。

 

 

「昨日は大学4年生のお客さんが来てくださっていて、少しお話ししたんですけど、就活が終わって色々と良い機会だということで、地元から何日もかけて18きっぷを使って一人で萩までいらしたらしくて。」

「で、一人旅って寂しいらしいんです。いつから、って聞いたら、初日からすでに、って。」

「でも、私も少し違うかもだけど、ちょっとわかるんです。何か嬉しいことがあったり、良いものを見つけたりしたら、それを誰かに伝えたくなる。そういう時に一人だと、なんか寂しくなっちゃうんです。」

「でも、それを伝えたくなる相手は誰でも良いわけではない、というのが難しくて。周りの友達はそこには当てはまらなくて。みんないい人ではあるんですが。だから、こういうゲストハウスに来れば、そういう新しい友達ができるかも、って。」

ーーー19歳ですでにそこまでたどり着いているの、すごいです。発想も行動力もすごいです。当時の自分には、東京に出るという考えしかなかったので。

「旅行といっても、各自の好みがもちろん違うので、なかなか難しくて。何が好きか、何を見たいか、お金は、体力は...。少し違うかもしれないですが、そういう意味では一緒に旅行できるような気が合う友達がほしいとも言えるかもです。そういう人は、どこにいるんだろう、って。」

ーーー難しいですよね。老婆心ですが、自分の今までの経験上、そういう人は基本的には見つからないものであって、見つかったらラッキー、という種類の存在です。めげずにいろんな人と話をする中で少しずつそういう人を掘り出していく感じかなと。あと、大学入学時と卒業時で好みが結構変化したりもするので、最初は合わないと思った友達でも、いつの間にか仲良くなっていたりしたなあって今になって思います。そういう意味でも、なんというか粛々とやっていくしかないんだろうなという感じです。

ーーーあと、極端な話、どんなに気が合う友達や家族だったとしても、同じものを見た時に自分と全く同じ感情になることはないと思っていて。そこには究極の孤独があると思います。それはなんか、そういうものだと思って、受け入れるしかないのかな、って。

 

 

3時間くらい話していた。印象的だった部分を思い出しながら書いてみた。

 

 

いいな、と思えるものが、大事にしたいものが、とても似ている感じがした。自分があと5歳若かったらSNSのアカウントを教えるとか、なんかしらで繋がりたい、今後もたまに会って話したりしたい、とも思った。でも、だからと言ってここで繋がってしまうのは、なんか違う気がした。一瞬のきらめきでは、ない。

 

 

風景の一部でありたいし、他人の、一瞬のきらめきでありたい。気がした。

 

 

風景の中で一瞬のきらめきになっているのなら、それはとても幸せなことだな、と思う。街を歩いていて見つけた面白いものや綺麗なものは、写真に撮ったり持ち帰ったりすると色を失ってしまっていたりする。その場固有の文脈に置かれて初めて、きらめきを生み出す。逆にだからこそ、その場固有の文脈に置かれて大いなる世界の一部になって、そうして相手に良かったなと思ってもらえることは、とても素敵なことだと思う。そして、風景として振る舞うということ、一瞬のきらめきとして振る舞うということ、それが道のもとに生きるということなのだろうと思う。

 

 

それと同時にね、こういう人たちが、感性を失わずに自分らしくのびのびと生きていける社会であってほしいとぼんやり思う。思うだけで、どうすればいいのかはわからないし、自分にできることはあるのかはわからないけれど、できるのであればその手伝いがしたい。

加えて、自分も含めた地方出身者がどの土地を選んで生きていくか、将来どこで暮らすのか、となった時に、今回のこの方の移動というのはとても面白く、参考になる。得てして東京か地元か、という2択になりがちだけれども、レッドオーシャンブルーオーシャンかは自分次第ではないかとも思うし、そもそも地元ってブルーオーシャンなのか、などいろいろと疑問点はある。自分と親和性の高い居心地がいい環境というのはどこにあるのかを考える上で、東京か地元か、という2択を視野狭窄的に、強迫的に検討してしまいがちだけれども、実際には世界はずっと広くて、ただ単に自分が知らないだけの選択肢がたぶん無数にある。もちろん手を広げすぎて選択肢が増えすぎて逆に途方に暮れてしまうこともあるかもしれないが、それは豊かであるための必要経費として受け止めていくことが大切であって、貧しい2択を前にして悩むことの方がずっと虚しいでしょうと、その後東京に戻るまでずっと頭の片隅で考えていた。苦しいことはつらいことかもしれないが、豊かであるための必要経費、その支払いに耐える強さが欲しい。

 

 

 

 

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2023年9月某日

 

 

京都の水族館で、生きているヤマメを久しぶりに見た。

 

 

斑点の模様が綺麗な美しい川魚で、渓流釣りや釣り堀に行ったことがあれば聞いたり食べたりしたことがあるかもしれない。成魚はだいたいアユと同じくらいのサイズというか、成人男性が手のひらを目一杯広げた時の親指の先から小指の先までくらいのサイズである。たしかそんな感じ。

 

 

 

 

そのヤマメであるが、分類学上はサケ目サケ科に属する。

 

 

サケと言えば、川で生まれ海に降って行き大きく成長したのち、生まれた川に秋に戻ってきて産卵して一生を終える魚である。産卵期のサケはヒトやクマの恰好の獲物である。

ではヤマメはどうかというと、北日本の山奥の綺麗な川で生まれ、基本的には一生の間ずっとその川で過ごす。だがヤマメの中にはサケと同様、海に出て行き大きくなったのち、生まれた川に戻ってくるものがいる。これをサクラマスと呼んでいる。

これ↑を見るともはやヤマメとは別の魚で、ほぼサケじゃん、と思う。川を降って海へ向かう途中で体の斑点模様が徐々に消え、体表が全て銀色に変化し(スモルト化)、海で50センチ以上にまで大きく成長する。かっこいい。そして産卵のために川に戻ってくる際には体中が婚姻色としてピンクに変化し、口先が大きく湾曲する。ますます、サケである。

 

 

ただ、全てのヤマメがこのように川を降ることはないようであって、どの個体が川に残りどの個体が海へ出るのか、などわかっていないことがまだまだ多い。ただし近縁種についての研究によれば、秋のタイミングで一定以上のサイズまで成長できた個体が海に出るようになる可能性があるとのことである。

www.kobe-u.ac.jp

 

 

ヤマメは山奥の上流域に住んでおり、幼魚時代を乗り切れば暮らしている川においてヤマメより大きな魚はほとんどいなくなり、生態系的には川においてほぼ最上位に存在することになる。誰かに食べられてしまうことも少なく、鳥やクマに襲われることがあるかもしれないが、海と比べると危険度は遥かに小さい。ただし、体長はよくて30cmといったところであり、繁殖期には川に帰ってきたサクラマスに文字通り弾き飛ばされてしまい、最後の最後で貧乏籤を引く可能性がある。

 

 

一方、海には危険がいっぱい。ただしエサもいっぱいで、生き延びれば将来安泰。若いうちの苦労は買ってでもしておけ、と言わんばかりのストロングガッツスタイル。サクラマスはハイリスクハイリターンなライフサイクルと言えそう。川に帰ってくれば最強であり、間違いなく世代を次に残せる。川に帰ってくる直前まで生き残るのが大変ではあるが。戦闘民族的なマインドが必要。

 

 

ヤマメでもサクラマスでもない何かって存在しないんだろうか、ぼんやり考えた。

 

 

 

 

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2023年11月某日

 

 

サクラマス、厳しい。心身がすり減り始めて、進路選択を後悔し始めた。

 

 

面白いこともたくさんありそうだし食いっぱぐれなさそうだと思って海に出てみたが、昼は表層で、夜は海底で素早く大量にエサを探すことを命じられた。面白がったり、立ち止まって味わったりする暇はなかった。大学院という川から出てきたばかりで塩分調節がうまくいかないのか、目から謎の水分が無意識に出てくることもあった。その中で、自分は身体をどうやったら大きくできるかには興味がなかったらしいということに気づいた。ただ単にエサの乏しい川にいて、隣の芝が青く見えていただけだった。それよりも、素直で正直でいること、自他の知的好奇心を満たすこと、できないことができるようになって世界の見え方が変わっていくこと、のほうが自分にとってはずっと大事だったということがわかった。そしてそれは、海では叶わないっぽいということもわかってきた。川にいた方が、トータルではキツくとも、そのわずかなきらめきを捕まえることができるのではないか、という気になってきた。それにしても、海って人にいい顔をするのが上手で、物質的には不足はなくて、でも気づかれないように引き摺り込んで他の魚に食わせようとしてくる、そんなところだな、と思うようになってしまった。注文の多い料理店。前は本気で金継ぎ屋さんだと思っていたのに。確かにそういう一面もあるかもしれないけれど。自分に都合のいいところばかり見て、肝心な芯のところを見るのが下手になったかも。

 

 

でも、川にいると食えなくなるどころか水すら干上がって呼吸ができなくなることすらあったとも聞いていて、それはそれでとても不安に感じたのも確かで、じゃあやっぱりどうするんだという。海に出てみよう、と決めるまでもかなり悩んで考えたし、あれはあれできちんと必要なプロセスだったと今でも実際に思う。

 

 

そしてそもそも、海だとか川だとか、安直な2択で苦しんでいるような、そんな気がする。納得のいくすみか、実在するかもわからないどこかがきっとあるはずだと、心のどこかで信じている自分がいる。でも、あるものが存在しないことを言い切ることは、あるものが存在すると示すことよりも難しくて、寿命が無限なら全部体当たりして潰していけばいいけれど、そんなことはできなくて、どうしたらいいかわからない。

 

 

 

 

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2023年12月某日

 

 

わからないことが増えてしまって、抱えきれなくなり、実家に帰ってきた。実家でもできる仕事しかないタイミングで、よかった。

 

 

父が職場で、イクラをもらって帰ってきた。職場のすぐ近くの川で獲れたサケから筋子を取り出して、イクラにほぐしたのだという。Googleマップでその川を見てみたのだけれど、かなり小さかった。こんなところにサケが来たら、元々住んでいた魚はひとたまりもないだろうなと思いつつ、でも遡上したサケは川でエサを食べないしな、などとも思った。サケ、いかついけど川においては産卵特化型で、案外哀しき存在なのかもしれない。海の恵みを身体に蓄えて、文字通り身を挺して川に持って帰ってきてくれる存在。

 

 

 

 

できたてのイクラ、BB弾より大きくてパンパンで、しょっぱすぎずちゃんと味があって、純粋に美味しかった。しっかり海を生き抜くと、それはそれでいいものができるのもまた事実なんだろうと思う。

 

 

 

 

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2023年12月某日

 

 

神保町で買った、手塚治虫の「ばるぼら」を実家にて読んでいる。

 

 



 

 

手塚治虫のスタンス、わかりやすいし、研究と芸術は親和性が高くてありがたい。

 

 

 

 

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2023年12月某日

 

 

相変わらず実家にいる。昨日は日帰り温泉に行ってみたが、単純に気持ちよくて、これからどうするのか、あまり考えることなく終わった。疲れは取れた。

 

 

今日は川が見たくなって、見に行った。いつもの冬よりは少し暖かいものの、基本的に空はどんよりしていて、現実に向き合わないといけないという気持ちになった。でもこれを書いていて、そもそも向き合わないといけないんだっけ、向き合いたいんだっけ、とも思う。どの道に進むにしても、そのために必要なことをなんかこの時間でやれるだろ、という気もしてきている。

 

 

 

 

帰ってくるたびに、あれ、ここってこんな感じだったっけ、と思うことが増えた。身体の大きさも考え方も小さい頃のそれとは異なるので、もちろん感覚の変化はあるし、記憶も変化していてもおかしくない。一方で、それを差し引いてもなお、なんでこれってこうなっているんだっけ、なんか変わったような気がする、という違和感が残ったりする。ちなみにこの川でもサケが獲れる。

 

 

 

 

結論は出ないが、なんとなく、研究に戻るのが良さそうとは若干思いつつ、結論が出ない状況に耐える力が必要だという気分で決着した。これだけを見ると、散々苦しんだ結果その程度か、という気もしてくるけれど、自分としては納得感がある。今後また材料が増えるかもしれないが、現時点ではもう十分に考えたと思う。あとはもう自分ではどうにもならない部分しか残っていないような気がする。途中まで同じ結論に辿り着きそうだったとしても、その時々の運や流れによって、結論は変わるとも思う。今回とて、上司が別の人だったらこんなことにはなっていなかった。

 

 

 

 

納得と諦観は裏表で、それこそが結論が出ない状況に耐える力を支えてくれるというか、天命を待てるように人事を尽くすしかないし、ひたすら考えるというよりは考えるための材料を集め続けるしかない、という気分になってきた。前にも似たようなことを考えていたし、螺旋階段をのぼったりおりたりしているだけなのかもしれないが、また基準点に帰って来れたということを前向きに捉えることにして、今日はもう寝る。