桜色というものはあるけれどない。しかし確かに桜色というものは、ある。

 

ピンクとも白とも灰色とも違うが、では何色なのかと言われると、よくわからない。何色で描いたとしても、桜の絶対性とは一致しない。他方で、空があってはじめて桜がわかる、すなわちつい先日、「桜をピンクで描くのは雑魚がやること、なるべく白で描くのがいいし、それよりもむしろ背景や周りの色を気にしろ」みたいなことを言っているひとを見かけたが、それに従っていては相対的なものの見方から自由になることはできない。もちろん、夜空を背景とした方がきれいとか、そういう小細工はある程度は通用するし効力のあるものではある。しかし、これでは技術者がいつものように典型的な罠に陥っているだけである。道への到達、絶対的な桜のもとに帰ろうと思うのであれば、俺たちは心で桜と向き合う、やることはそれだけである。心で向き合うと、何色とも言えないが強いて言えば桜色、という色の花を見上げていることに気づく。桜色というものを知りたい時、ピンクとか白とかそう云う固定的なところから離れて周りとの差分を見ようとすること、は確かに道への到達への第一歩ではある。しかし、それだけでは桜というものの絶対性に到達することはできない。桜色というものそのものを、ありのまま、全身で受け止めなければいけない。ここにおいて、写真は敗北する。以降、この記事に貼り付けられている写真たちは、敗北の証である。ただし、スペーサーとしては一定程度便利であるのもまた事実である。

 

 

猫が道を横切る。シャッターは間に合わない。

 

 

不倫をしているひとと飲んできた。彼女は研究室の職員さん。離婚したあと、女子高生時代の既婚者恩師と現在進行形で不倫をしている。それは確かに有り体に言えば不倫ではある。相手である恩師は家庭が崩壊しており居場所がないとはいえ、有事の際に家族に何かしらの迷惑がかからないかと言えばNOである。法律とか慣習とか常識とか、それらの物差しのもとで眺めれば確かに不倫ではある。ただ、その2人のあいだにしかないものが存在する。2人の間で認識が一致しているかは怪しいし、もちろん部外者である自分にもわからないが、でも何かが存在している。彼女と相手のことだけを空っぽな心で眺めると、そこには絶対的な何かがある。少なくとも彼らはその関係の中では救われているらしい。無論、救われていなくても、それはそれでその関係性がそこにある。いずれにせよ、それを絶対的に理解することは当事者ですら難しく、況や自分をや、という次第である。

 

 

向こうから猫が帰ってきた。

 

 

一般に、このようなことを理解することは難しいが、そもそも対象がなんであれ理解なんてものは不可能で、理解したいという単なる願望がぼんやりと頭を支配しているに過ぎないのではないかとさえ思う。我々ができるのは、ただ現象の前に帰参して、くもりなき心で眺め、あるがままをあるがままに措いておくことのみであるように思う。

 

 

話は変わって、後輩の女の子がこの春から異動になる。以降、彼女2と呼ぶことにする。彼女2はいわゆる研究室内カップルというものをやっている。相手の男は自分の同期だが、彼は異動しないので2人はいわゆる遠距離恋愛というやつをやることになる。傍目から見れば2人ともたいそう自立しており、周りに迷惑もかけず問題なく日々を送っている。安定したカップルに見える。しかし、彼女2は遠距離恋愛が耐えられないのだと飲み会において研究室職員の彼女にこぼしたという。異動先で相手を作ってこっそり、ということになるような気がするのだという。めちゃうまくいっていたように見えるし、自分にはわからない。彼らは婚姻関係にはないが、でもこれもまあ不倫ということになるのかもしれない。そういう欲が強くて品がない、ということになるのかもしれない。同期の男もかわいそうである。愛情とか絆って、そんな一時の欲求では打ち破れないものだろうと信じている身からするとわからない。わからないがしかし、これもまた、桜色がなんであるのかを中途半端に知ろうとするのと同じことなのかもしれない。彼女2の絶対性に到達しようとする道中においても、やはり頭や心がかなり邪魔をしているように思う。

 

 

巷に溢れる物差しを取り出して眺めるといろんなことが多分ぐにゃぐにゃに曲がっているように見えるのだろうが、この桜の木の下でぼんやりと桜を見上げていると、曲がっているとか、まっすぐとか、そのような言葉が意味をなさなくなってくる。そこには、桜があるだけである。もっと言えば、桜というのも我々がそれを他のものと区別するためにつけた呼び名であり、実際にはただそこに何かがあり、自分はそれに現在惹かれている、ということ以上のことは言えないのである。

 

 

AM00:58。腰掛けているガードレールが冷たくなくなってきたな、と思っていたところに、お巡りさんが自転車でやって来た。こんにちは、と言われたので、お疲れ様です、きれいですね、と返した。そうしたら少し間を置いて、きれいですよね、と返してくれた。とても嬉しかった。じゃ、と言ってお巡りさんは自転車に乗って去って行った。お巡りさんの後方からは、歌いながらふらふら歩いてくるおじさんが来ていたが、お巡りさんはそちらとは反対の方に漕ぎ出して行って、相変わらず桜はきれいで、少しだけ涙が出た。この桜がここにある限りは今の場所から引っ越さずにいようかな、と思いつつ、ガードレールから立ち上がった。