続・新幹線と私 -ばらの花 / くるり

"安心な僕らは旅に出ようぜ 思い切り泣いたり笑ったりしようぜ"

- ばらの花 / くるり

 coverd by A Cappella Group, suisai

 

 

以前の帰省の際に、新幹線の中でこんな文章を書いた。

前回は幸いにも座れたので悠長に車窓から写真を撮るなどしていたが、今回は年末の帰省ラッシュ真っ只中ということでそんな余裕はなく、満杯のデッキに立ちながらこれを書いている。みな、東京では見かけることのない実用的なコートで着膨れしながら、キャリーの上にお土産と思しき紙袋を乗せている。

 

 

 

 

 

以前書いたように、高校までの自分にとって、この新幹線は陰の北国社会から陽の表日本社会へ出るための手段であった。しかし、陽とは絶対的に陽なのか。または、永遠に陽なのか。

 

"雨降りの朝で今日も会えないや

 何となく でも少しほっとして飲み干したジンジャーエール 気が抜けて"

"愛のばら掲げて 遠回りしてまた転んで

 相づち打つよ君の弱さを探す為に"

胸をときめかせて大学に入ったものの、気づけば卒業単位が取り切れるか怪しくなっている。現実を見て色を失ったと言えば少しは聞こえはいいかもしれないが、それでもやはり入学当初の野望はどこ吹く風という感じである。「ダラダラとした講義は緩慢で急所がなくつまらない」と他人のせいにして授業を切り続けるとこうなる。でもまあ何とかなるだろう、と気楽に捉えている自分がいる。実際、何とかなるとは思う。

陽の世界とは、当たり前だがあくまでも相対的なものだった。そして、そこに甘んじて安心している自分がいる。

また、幼き自分をめいっぱいもてなして楽しませてくれた母方の表日本的祖父母であるが、当然ながら人間であり、生物であるので、歳を取り衰える。グループホームで生活し、5分おきに「今日は何曜日だったかね?」と笑顔で尋ねる祖父や、痰を詰まらせては救急搬送される祖母に、ボウリングや潮干狩りに連れて行ってくれ、などとはもうとても言えない。

陽とは、別に永遠でも何でもない。

また、私は祖父母から陽を"受け取って"いただけで、自分から何か返せていただろうか、と言われると言葉に詰まる。私の存在自体が彼らの喜びであったならまだ救われるのだが。

 

 

"最終バス乗り過ごして もう君に会えない

 あんなに近づいたのに遠くなってゆく"

かつて心躍る場所であった東京は、表日本は、過ごしてみれば今や緩慢な日常が流れる場所ととなってしまった。言葉が適切かは自信がないが、消費しきってしまった、ということだろうか。

この新幹線は、いつしか、"安心"な日常としての東京から、スーツケースに「いや待てよ、このままでいいのか」という無意識的・潜在的焦りを詰め込んで故郷の北国に逃げ帰るための存在、へと変化していた。

大学以降、自分の中で表日本-裏日本間における日常-非日常が逆転した上に、裏日本における非日常はかつての表日本が担っていたような積極的陽を受け取る場として機能するのではなく、単なる逃避先としての非日常と成り下がってしまった。

 

 

"僕らお互い弱虫すぎて 踏み込めないまま朝を迎える"

"だけどこんなに胸が痛むのは

 何の花に例えられましょう"

ばらを掲げて東京に出てきたはいいが、本当に走り切れたのか。ばらを掲げるためには、トゲのある枝を掴む必要がある。トゲと向き合うことから逃げていた、そうだよね。

"ジンジャーエール買って飲んだ

 こんな味だったっけな"

新鮮な、気の抜けていないジンジャーエールは、ちゃんと美味しい。

 

 

"安心な僕らは旅に出ようぜ

 思い切り泣いたり笑ったりしようぜ"

もう一度、表日本が非日常だった頃のことを思い出す。だらだら享受するだけではなく、ぶつかってちゃんと喜んだり悲しんだりする。もっと言えば、場所がどこかにかかわらず、日常だの非日常だのにかかわらず、対象にぶつかって心を動かせたかどうかを意識する。

 

 

グループホームで生活し、5分おきに「今日は何曜日だったかね?」と笑顔で尋ねる祖父や、痰を詰まらせては救急搬送される祖母を、今度は私が、もてなして楽しませる番である。

 

そう言えば今回の帰省、スーツケースが要らなかった。